転職エージェント(人材紹介業)の歴史(PR記事が含まれています)。
日本の転職エージェントはいつ頃誕生したのでしょうか。実際は皆さんびっくりされるかもしれませんが、江戸時代に転職エージェントらしきものは存在しました。
江戸時代に合った人材紹介業
驚かれると思いますが、日本には江戸時代から人材紹介業はありました。当時は「口入れ屋」と言われて、奉公人などを斡旋していたようです。しかし、昭和に入り職業紹介法の法律ができてこの職業は消滅しています。
その後「配ぜん人紹介所」という職業が生まれホテル、結婚式場、レストランなどへ料理や飲み物のサービスを行う配ぜん人を紹介する職種が生まれています。
日本で最初の近代的な人材紹介会社の誕生
ぼくが知る限り、日本で最初の人材紹介会社は1960年代初めに設立された株式会社ケンブリッジリサーチ研究所です。当時、アメリカのグローバル企業がぞくぞくと日本へ進出してきましたが、まだ、日本人ビジネスマンには転職という概念があまりなく、 また、外資系は敬遠されていたために、多くの外資系は人材確保に苦労していました。
かろうじて確保できたのは、アメリカ軍基地で働いていた人たちです。要するに、英語を使って仕事をしていた人たちです。でも、進出してきたばかりの外資系が本当にほしかったのは、経験豊かなビジネスマンです。
そのような背景のもと、日本で初めてできた人材紹介会社は、外資系へ人材を送り込むことを主な目的として誕生しました。
当時、日本人が外資系を敬遠した理由は、外資系はすぐクビになるとか、外資系ではどんなにがんばっても社長になれない、 といったものです。
日本の会社でもがんばって社長になれるのは極めて限られていますから、今考えれば、社長になれないという理由で 外資系を敬遠したのには笑ってしまいます。逆に言うと、そのころはサラリーマンの誰もが社長を目指していたということです。
その後次々と新しい人材紹介会社が誕生
そして、株式会社ケンブリッジリサーチ研究所に続いて、1960年代後半に設立されたイムカ株式会社が、1970年代以降、外資系相手に華々しい活躍を見せました。
その後、長い間、新卒採用しかしてこなかった日本企業は、ほとんど人材紹介会社を利用することはありませんでした。しかし、バブルがはじけて、企業の余剰人員問題が発生しました。そのために多くの会社が採用を手控えるようになり、 不足する人材は人材派遣業で補うようになりました。
ところが、人材派遣では補えない職種も出てきて、日本企業も少しずつ人材紹介会社を利用するようになりました。今や多くの人材紹介会社があるのはご承知の通りです。